右脚のだるさと哺乳瓶拒否
こんにちは、米川です😊🌿
半年間の出産育児休業期間を終え、営業再開してからあっという間に月末になってしまいました🏃♀️💨
お陰様で整体院の方はリピーターの方々が続々ご予約下さり、毎日嬉しい再会の時を過ごさせて頂きとても感謝な日々です🥺💓
そして、
それと並行して生後5ヶ月の息子と、旦那さんと私の父を加えた保育園通いと、保育園の無い時間の新生活が進んでおります🤲🌿
このテーマは10月前半に起こった出来事が中心なのですが、予想はしていた事ではありましたが文字通り時間に追われる日が続き、
そうこうしている内に状況は、あれよあれよと変動し、毎日がなかなかのドラマティックな日々…😅
個人的にはもう大分前の話の様になってしまいましたが、気を取り直して記録をしたいと思います🌟📝
さて生後5ヶ月👶🏻🌼
息子にとってはまだママとずっと一緒に居たい時期ではありますが、
整体院再開の10月1日から、パパ、じぃじ(私の父)、そして保育園の先生方と、産まれてからずっと私と一緒だった生活から、一気に様々な方の元でお世話になる生活が始まりました。
保育園は始めの数週間は『慣らし保育』の期間なので、初日は1時間、次に1時間半…といった感じで赤ちゃんが無理なく順応して行けるようにというご配慮があるスケジュール🙏✨
朝の送りは私、早めお迎えから夕方まではパパ(この期間半分育休を取ってくれました🥺✨)、その後私が終わるまでは、じぃじの元でとのローテーション💫
いざ初日!🌟
…である10/1㈯は、園は営業しているが担任の先生ではない日だったりと慣らし初日には向かない日との事で、パパ→じぃじ→私…のスケジュールから始まり、保育園は10/3(月)から始まりました🍓
実は以前からお話ししていた、息子の哺乳瓶拒否問題はそのまま残っている状態で10月に入ってしまったのですが、何にしても私は一緒に居ない時間だという事ですし、お腹も空けば飲む様になるだろう🙂🍼
…と、軽めに思っていたのですが、
息子はまるでストライキをしているかの様に、ガンとして哺乳瓶からミルクを飲む事を拒否し続け😭💦
朝私が母乳を上げてから、12時間近く飲まない日もありました😰(…この時の食いつきっぷりは凄かった笑)
幸いな事に自宅がとても近いので、他の日は少し空いた時間にダッシュで授乳しに行ったりも出来たのですが、
相変わらず保育園でも飲んでくれないまま数日が過ぎ、「このままだと慣らし保育の時間も午後に伸ばすのは難しくなる」…と言うお達しが😳💦
そんな事を朝の送りの時に聞いた帰り道、
右脚がダルい…🌀😑
実は私の右脚の不調は、整体に興味を持ったきっかけの様なもの…🌱
遡る事中学2年生、
あれは山の移動教室が生憎の雨続きになってしまい、その中雨具を着て皆で登山をする時があったのですが、その時から何故か右脚だけとても冷えて泥はねが酷く、1人だけ足の付け根迄ビッチャビチャになるという事態に陥ってしまいました😱💦
そんな事から始まり、
雨の日になると必ず右脚だけ冷えと違和感が生じ、近い距離じゃない限り靴の中までビッチャビチャになるという事態🥺👟💦
大分省略しますが(笑)
お陰様でカイロプラクティックの世界に入って来る様になり、何十年越しに私の右脚は落ち着いたかと思っていたのですが、
久しぶりのこの感覚は…!!😳🗯
と、あの時の酷さに比べると強さ的には大分軽いのですが、似た感覚を感じた訳です😢
そういう時は早速セルフ調整🌿🤲❗️
右脚の重だるさを辿って行くと…
肝臓❗️🫢
肝臓が疲れる原因は、消化器としての解毒作用や糖質脂質の分解…等、色々ありますが、
今回の私のケースはやっぱり『感情』💓🙁
東洋医学で言う肝臓の経絡は、
『怒り』
との事なのですが、
私は一体何に対して…?🤔
ふと、思いついた言葉が
「私のせいで…🌀」
あぁ、そうだ私は
-…整体院を再開出来たのは嬉しいのだけど、
私が『母親』という役割を放棄したから(※実際はしてはいないのだけどバランスが崩れている時は極端に感じる)
息子も悲しませて、旦那さんにも父にも保育園の先生方にも多大な迷惑をかけてしまっている…-
そう思っている事に気が付いた😳💭
怒りは自分に対して、
自分に対しての”責め”だった💀⚡️
もちろん、そういう風に見るのも間違いではない。
自分を責め続ける…という選択肢も一理ありですが、ネガティブな思いが脳内の多くを占めていると、脳のパフォーマンスも低下し、せっかくいらして下さる方々にも負の連鎖が及んでしまうので、それこそ責任問題😑💨
バイオキネシオロジー感情チャートによると、このカテゴリーを元気にするキーワードは、
「満たされた✨」
…と、感じる事を思い巡らすのだが、どうも乗り気にならない🙁💨
こういう時は過去の調整が必要なパターン🪄
人の思考は無意識の領域、潜在意識の中で過去のインパクトの強い経験を記憶しており、ハッキリ顕在意識で気付いていない時でもその過去の経験と感覚的に繋がり、余計にそのネガティブな感情を強く思う仕組みになっているからだ🥲🧠💭
筋反射で辿って行くと、28歳、18歳、14歳…と、”自分を責める”想いが強くなった年代が上がって来る。
それぞれの年代で、印象濃いエピソードがあるのですが、これも全て紹介していると相当時間がかかるので、ご興味ある方は個別で聴いて頂ければお話します(笑)
さて、
今回のテーマの”核”となったのが『14歳』🫢
ちょうど右脚の不調を感じ出した頃だ。
一…この時と言ったら、散々私の中で調整してきた『母が鬱病になった時に感じていた気持ち』…一
3人兄弟の弟2人、長女である私の多感な思春期真っ盛りのお年頃、
ちょうど体も第二次成長期で色々変化に戸惑う中で、母親に頼りたかったのに頼る所じゃなくなった状況で、母に対する負の感情が物凄く出来上がった時だった。
けれども、今ではお陰様で大分母の事を理解出来るようになり、以前の様な抑えられない突発的な怒りの様な感覚は無くなっていたのだが…、
今回は「私のせいで…」
と言う感覚だったと言うこと。
…自分の心の奥を深掘りして行くと、
私はあの時、
一…大好きなお母さんがこんなに辛そうなのに、私は何もしてあげられない。
私が何かもっとお母さんの事を助けられたら、こんな事にはならなかったのに…
”私のせいで…”一
途端に涙が溢れ出した
カタルシス効果だ✨😢🌿
そうだ、
私は長年母に対して許せない思いの様なものがあったと思っていたが、
それは感情の表層で
どんなに家事や育児が下手である母であろうと、
私達兄弟は、確実に母は自分達の事を本当に愛してくれていて、
沢山、沢山、愛情を注いでくれていた事を感じていたのだ✨
だから私達は、
いつも抱っこしてくれる手がお尻に刺さって痛かろうが、お母さんの暖かい愛を感じ、他に代用する事が出来ない安心感と居心地の良さを感じていた訳だったのだ…。
-子供時代は、子供にとって大人の複雑な状況の情報を正しく理解する事が難しい
純粋であるが故に、
自分の知ってる感覚の『安心感』が阻害されると、そのままストレスとしてダメージを受けてしまう。
誰が悪い訳でもない、
みんなそれぞれ、その時一生懸命生きている。
思えば、自分の右脚の不調の件もあったけれど、
”母の力になりたい”
…その想いが今に繋がる大きな原動力の1つだったのかと…✨✊
だから、恵翔(息子)も今は急に私と引き離された様な感覚を感じていても、
きっといずれかは、私の行っている仕事も理解してくれるだろう…!🥺🌱✨一
そうだ、そうだ!!✨
そう思い、ふとスマホをチェックするタイミングだったので見てみると、
ちょうど旦那さんからLINEでメッセージ🫢📲🌟
旦那さん)「恵翔、スパウト(色々試した哺乳瓶の吸口の1つ)で搾乳80ml ごちそうさまでした。」
…と!!😳✨✨
粉ミルクと併用しながら、私もせっせと空いた時間な母乳を搾乳して冷凍保存していたのですが、それも一切哺乳瓶になると飲まず…を、続けていた息子がなんと飲んでくれたというビックニュース!✨🥺💖
80mlというのはちょうど搾乳パック1袋分✨🍼
母と子の絆というのは、目に見えないところでも繋がっている…と言えども、
こんなに実感したのは初めての体験だった💓😢
確かに、
自覚してなかったかもしれないが、母親がネガティブな感情を抱いたままだと子供にも伝わるよね…(笑)
って事で!🌟☺️🎶
この一件を境に、息子は次第に1番頑張ってくれたパパから始まり粉ミルクも飲める様になり、
協力しに来てくれた弟夫婦、保育園の先生、私の父…と、誰があげても飲める様になって来た訳で、
今では飲む量も増え、
今度は私の母乳の方が役割りを終えたと思ってしまったのか、以前より出なくなってしまったのですが😅
代わりに私からでも哺乳瓶で粉ミルクを飲んでくれる様になり、無事に保育園も通常の時間帯通しで預けられる様になったのでした🙏✨🌿
息子の心の成長と共に、
…というか、私の心の整理が息子へと繋がって行くという、貴重な体験をさせて頂いた時でした☺️🤲💖