私のマイノリティは受け入れられないのか?~ゲシュタルトの祈り~

ブログ

こんにちは、前澤(米川)です😊☘️

今更ながらですが苗字を変更致しました🙏

 

詳しくは…🌼

↓  ↓  ↓

 

 

 

 

これを書こうとしている間に、

事態は色々と変化をしており、

私の中では大分吹っ切れた話ではあるのですが、

 

対象となる事柄は違えど、

それぞれ"多数派と違うこと"で、

無意識的にネガティブになりがちだったり…

 

と、いう様な、

そんな想いを抱えている方も少なくないのでは?

 

と思い、そういう方々の何かの足しになればと

ここに綴りたいと思います🌿✍

 

 

私のマイノリティについては、

知っている方は知っている事で、

日本人の中では1%未満の超少数派

 

幼少期はみんながそれを普通だと思っており、

何の疑いも無く 私にとっても

生活の自然な1部でした🫧‪

 

小学校に上がった時、

クラスに誰もいない事を知ります😳💦

 

とてもショックだった訳です…🌀

 

 

 

変な人認定→恥ずかしい→引っ込み思案になる

 

思えばそんな風に、

私の拗らせネガティブ思考が

始まった様に思います🌱

 

 

この事について一連の流れを話すと

それだけで相当大作になってしまいますし笑、

 

何せ日本人1%未満の話ですから、

99%以上の方々は"共感" よりも

潜在下でのマイナス面…

 

それこそ、

今回のテーマ"受け入れられない"が

先行する確率の方が高いかな

 

と思い、

聞かれたりしたら話はしますし、

いずれかはブログにも綴れたらと思うのですが

 

今回はこの具体的内容には触れず

ある1件から励まされた「祈り」について

シェアしたいと思います🤲🌿

 

 

 

事は1か月と少し前、

それなりに良き関係性が出来ていると

思っていた方に

 

ある時私のマイノリティが

完全にそうなのだと知られる時がありました。

 

 

私的には言わない方が良いタイプかな?

と思っていたので

あえて話題には出していなかったのですが

 

ある程度関係性も出来て来ている感覚でしたので

知られても大丈夫かな?

とも思っておりました。

 

 

 

しかしながら、

その後1件のメッセージを最後に音信不通…📱

 

 

もしかしたらこの事が原因では

無いのかもしれないのですが、

 

私はこの件で子供時代から

受けて来たネガティブな反応と重なり、

「あぁやっぱりか…」

 

と、とても残念な気持ちに😢

 

 

勿論今迄も私自身の感情調整をするにあたり、

何度も触れて来たテーマではありましたので

以前と比べたら差程では無い印象でしたが、

 

やはりどうにも頭に残ってしまい

モヤモヤ…💭

 

せっかくなので感情バランス調整の

キネシオロジーをセルフでやってみる事に💡🌱

 

 

今回身体が感じていたテーマは

 

「受け入れられない」

 

 

 

正に、

「あぁ大丈夫かな?と思っていたけど

受け入れられないんだ…」

 

と感じていた事が今回のモヤモヤと繋がった🔗

 

 

筋反射テストで選ばれたキネシアロマは

 

『The Sun』

 

 

大きな転機の時、

 

大きな内面の変化がある時のアロマだった。

 

 

ふと、この直前GW最終日に受けたセミナーで

隣の席になった方との会話で盛り上がった

『ゲシュタルトの祈り』がふと思い浮かんだ😲💭

 

 

その時、どうしても内容のフレーズが

1つも出て来なかったので

後でちゃんと確認しようと思いつつも

 

相変わらずの時間に追われ生活が続き

後回しになっていた事だったのだが、

 

今こそ見る時!

…そんな気がして調べてみると

 

 

私が思っていた祈りと全く違うもので

完全な勘違い😂💦

 

お初にお目にかかります〜 笑🙏☘️

 

 

…と言うようなハプニング?!もあり 笑、

 

また、祈りと言うより詩 だった訳なのですが、

 

 

"他者との関係性で悩む方"

 

…等に向けた 心理療法で取扱われる

受け取り方として勧められているものでした😳✨

 

 

初めは英文の翻訳解釈で見ていたのですが、

それより原文であるドイツ語からの解釈の方が、

 

本来の意味に忠実だと言う事が

調べて行くと分かりましたので、

 

以下ドイツ語からの翻訳を含めた解説文を

シェアさせて頂きます🤲🌿

 

↓   ↓   ↓

 

 

【ドイツ語原文】

(心理療法家Fritz Perls の言葉として伝わる形)

Ich tu meine Sache und du tust deine.
Ich bin nicht auf dieser Welt, um nach deinen Erwartungen zu leben,
und du bist nicht auf dieser Welt, um nach meinen zu leben.
Du bist du, und ich bin ich.
Und wenn wir uns zufällig finden,
ist das wunderschön.
Wenn nicht, kann man auch nichts machen.



この最後の行

「Wenn nicht, kann man auch nichts machen.」は、

 

直訳すると:
「もしそうでないなら(出会えないなら)、それも仕方のないことだ。」

という意味になりますが、ドイツ語独特の「Gelassenheit(平静、受容)」の態度が込められており、英語の “it can’t be helped” よりも冷たさや諦めよりも達観や自然な受容のニュアンスが強いと解釈されます。



【日本語訳(原意に忠実な意訳)】

私は私の道を行く。あなたはあなたの道を行く。
私はあなたの期待に応えるためにこの世界にいるわけではないし、
あなたも私の期待に応えるためにこの世界にいるわけではない。
あなたはあなた、私は私。
そしてもし、私たちが偶然出会えたなら、それはなんと素晴らしいことだろう。
出会えなかったとしても、それはそれでよい。そういうものだ。



この訳では、最後の行に含まれる「そういうものだ(そうなったのなら、それが自然)」という存在の肯定と受容の姿勢を大切にしています。



【補足:パールズの意図について】

フリッツ・パールズがこの言葉を通じて伝えたかったのは、「自分自身に責任を持ち、他人に依存しない生き方」だけでなく、

 

人との関係も、自然な流れの中で育まれるものであるということです。

「出会い」に価値を置きながらも、それを執着の対象とはせず、「出会わないこと」も否定せずに肯定している——この点が非常にゲシュタルト的な世界観だといえるでしょう。

 

 

…ということで、

色々思う経緯はありましたが

時間の関係で今回はこのシェアまで✨🙏☘️

 

次回に続きます🌟